stereo typeの結成時メンバーで、バンド名を名付けたTeenagers Bloody KillinG志田教輔が亡くなりました。
僕が高校二年の時に、メン募で静岡県沼津市で出会い、ニルヴァーナ、ハスキング・ビー、アジカンのコピーから僕らは始まりました。
彼の独特な雰囲気と音楽への依存に、僕達は惹かれ続けました。
彼は一年先輩ですので、一年先に上京をして、stereo typeを脱退。東京でTeenagers Bloody KillinGを結成しました。
一年後、僕達も追いかけるように上京をしました。
友人が居なかった僕に、たくさんの方との出会いをくれました。
上京して間もない頃は、ファンとして、とにかく彼らのライブを観に行った。
それは僕にとっての初期衝動でもあり、支えてくれる温かい場所でもあった。
どうしようもない僕にバイト先を紹介してくれて、スタジオで一緒に働いてもいました。
繊細で、でもやたら逆人見知り的なコミュ力で…会いたいな、ダメだ。
ブラキリが続けている事は知っていたし、どこかでまた会うだろう、一緒にやれるだろうって、考えてて。
このタイミングだって時にstereo typeで一緒にやりたいっていつも考えている。
どうすれば良いのかわからない、こういった文章を書く事も正解は見えない。
とにかくヲコゾは、ピュアに音楽を愛していたし、アウトプットが世界に認められる事は無くても、僕にとってのロック・スターで在り続けるから。
近年は疎遠でしたが、彼の音楽は尊くて、一生離れる事はないでしょう。
僕は僕なりにやれる事を考えて、たまには皆で集まろうよ。
ご冥福をお祈りいたします。
stereo type / further platonic
芹澤 希実